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おがたくろぐ

日本語不自由です。

生態系の保全について。

ポケモンGO という単語を耳にしたことがない人間はこの国にはもはや殆ど存在していない様に思われる。

そのような人間はカビゴンくらいには希少な存在なのではないだろうか、とすら思う。

技術革新に伴う電脳の波に呑まれぬ人類最後の希望であるとも考えられるだろうか。否、ただ時代に取り残されているだけである。

適者生存の自然界においては完全に劣等種と見なされるだろう。この世界を自然界と表現することが出来るかは少し疑問ではあるが。

 

とは言え、突然出現した1つのスマートフォンゲームに、もはや特定の枠に当てはめる事も出来ない程に多様な人間が熱中しているこの現状に混乱する人間も少なくないのではないか。

今や周りを見回すと、小学生くらいの子供ですらスマートフォンポケモンを捕まえている。いや、お前らはセミを捕れよ。と思う。

 

例えばの話であるが、小学生くらいの子供たちが蝉を捕らえることを放棄してしまったとしたら、セミの個体数は果たしてどれほど増加するのだろうか。少し疑問に思う。

 

ここで、私の記憶と実体験に基づいた数字ではあるが、私は少なくとも毎日のように5~10匹は捕まえていたので、

小学2年生~小学生4年生(約320万人)の半数である160万人がこのペース(1日7匹とする)で、夏休み(約40日)の半分の20日をセミ取りに費やしたと仮定すると、夏休みの間に小学生によって、160万×7×40=448,000,000(4億4800万)匹の蝉の命が奪われていることになる。天敵か。

 

以上より、ポケモンGO、いや、それに限らないかもしれないが、スマートフォンの普及の影響によって子供たちの半数が夏季の遊びをセミ捕りからスマートフォンゲームへと乗り換えることによって全国の蝉の個体数は2億匹以上増加すると考えられる。

乗り換えといえば、最近朝の乗り換えの調子がとても良く、私は嬉しい。

センター英語第3問であれば即削除されてしまうような余計な文が入ってしまったが、この蝉の増加は大問題である。2億匹の蝉の鳴き声による日本国民の体感温度の上昇は計り知れないであろう。日本のGDPにも甚大な影響を齎しかねない。全国のママ達は何をしているのだ。日本経済のためにも子供の手からその直方体の物体を早急に引き剥がさねばならぬ。戦争に反対している場合ではない。

 

それだけではない。ポケモンGOの普及によるポケモン会の生態系に対する影響も凄まじいものがある。

そういえば先日、我が母が「凄まじい」を「すごまじい」と読んでいて驚いたが、そんなことは読者の皆様にとっては、私の国際関係論の中間テストの点数くらいどうでもいいだろう。20点である。

先日Twitterにおいても述べさせて頂いたが、今やポケモンGOのプレイヤーは7500万人である。これらのプレイヤーが1日に平均10匹のポッポを捕まえていると仮定すると、1日になんと7億5000万匹ものポッポが無慈悲なプレイヤーによって自由を奪われているのだ。動物愛護団体は何をしているのだ。働け。

 

アメリカでポケモンGOが公開されたのが7/7であり、リリース日から現在にかけての平均ユーザー数を4000万人程度と仮定すると、1日に4億匹×21日=84億匹ものポッポが合計で捕まえられていることになる。世界人口ではないか。

 

それ以上に深刻な状況にあると予想されるのは博士の研究所である。ポケモンGOにおいては、捕まえたポケモンの中で手元に必要ないポケモンを博士に送り付けることが出来る。

確かに、数匹であれば博士の研究の効率も上がり有用なデータを得られるかもしれない。

しかし、希少価値の低いポッポは捕らえられた個体の大半が博士に送り付けられる。このことを考慮すると、博士の研究所には、今や世界人口に匹敵する程大量のポッポが存在していると考えられるのだ。それも1日に7億匹である。1日は86400秒であることを考えると、毎秒8000匹が博士の研究所に送られている計算になる。楽天カードマンどころの話ではない。エサ代・土地代も洒落にならないだろう。私の思考ももはや停止寸前である。

 

しかし、思考を停止してもいられない。

何を隠そう2科目の期末試験が明日の私を待ち受けているのだ。

にも関わらず謎の余裕と共にベッドの上で駄文を弄している私はもはや救いようのない人間なのかもしれない。私の堕落具合といえば、マザーテレサでも唾を吐きかけるレベルであろう。

当然、2科目ともまだ何も勉強をしていない。このままではまずい。その様な危機感すらも最早覚えぬようになった。成長であろうか。否、退化である。

そんな私も、限りなく0に近い明日への希望を胸に、ここ16時間を共にしたベッドに別れを告げるのであった。

 

ここまで読んで頂いた読者の皆様も、きっと大切な時間を浪費してしまったことだろう。

 

しかし時間は残されている。

 

悲観的になるのはまだ早いだろう。

 

まだあわわあわ、あわてるようなじかあわわわわ。

 

やばい。