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おがたくろぐ

日本語不自由です。

人生について。

人生について。と題した今回のブログであるが、ただ私の人生について私が考えを綴るようなものではない。

そもそも私の平坦極まりない人生の考察で1つのブログを書き上げるなど、『かいけつゾロリ』の読書感想文で原稿用紙15枚分書き上げるようなものである。何を書けというのだ。

 

ちなみに私の所持金では2冊しか『かいけつゾロリ』を購入出来ない。ひもじい。

 

かいけつゾロリ』というと読者の皆様の中には馬鹿げた絵本という印象しか持たれない者も存在するかと思われる。

しかし、幼少期の私は正に『かいけつゾロリ』を読み漁って成長したのである。『かいけつゾロリ』が無ければ今の私はいなかったと言っては過言である。だが、今の私の性格は少しばかり変わっていたのではないかと考えることもできない。私の人生に1ミリも影響を与えていない。きっと幼稚園時代に私の隣の部屋に住んでいたユタカ君の方が何倍も私の人生に影響を与えているだろう。

ゼロは何倍してもゼロである。

 

おそらく当時の私は、

「『かいけつゾロリ』って何を解決するんだろ〜???」くらいの印象しか持っていなかったことであろう。

『かいけつ』が「解決」ではなく「怪傑」であることに気がついたのは何年後であろうか。

内容は低俗なクセに、タイトルに使用する語彙はやけに高度ではないか。

 

一体何の話をしているのであろうか。

 

少しくらいは人生について記述するつもりでブログを書き始めた当初の私が、時空を超え、前半がとある狐の絵本の話題で終了してしまっているこのブログを読んだならば、きっと驚きのあまりタイトルを何度か確認してしまうだろう。複数回の確認は車の運転においては大事な行動であるが今は運転中ではない。学科試験に落ちた私には運転をする資格もない。

そもそも二度見という行為も、さほど驚きのあまった感じの行動ではない。驚きはありあまらぬ。が、ロマンスは最近ありあまっている。ユニセフに行けばガーナのカカオ農園で労働を強いられている恵まれない子供たちにロマンスのお裾分けをすることも可能であろうか。

職員の右拳が飛んで来そうである。ロマンスとカカオの等価交換など非常に夢のある話だと思うのだが。

 

カカオといえば私はブラックサンダーというお菓子が好きである。私はよくブラックサンダーをコンビニで購入する。お値段たったの32円である。

ブラックサンダーはカカオから連想するには相応しくない、などという意見もあるかもしれない。

が、なんと言っても32円である。いくらひもじい生活を送る私でも毎日のように購入することが出来る。そう、非常に安いのである。そして結構旨い。まさにチョコレート界に降臨した雷神である。

この理路整然を具現化したかの様な私の説明を承けても尚、カカオからの連想を正当化する理由には到底なり得ない、などと呑み込めないことを仰るそのお口には黒いイナズマがお似合いである。食っとけ。

 

冷静に考えて頂きたい。仮に毎日ブラックサンダーをコンビニで購入したとしても、32×365=11,680円ぽっちで…えっ?待て待て待て。9月分の私の給与に相当するではないか。買うのやめよ。

 

つい最近の話である。

私は近所のスーパーマーケットにてブラックサンダーを購入した際に、毎日ブラックサンダーを食している者としての甲斐なき矜持から店員が値段を口にする前に32円を差し出した。店員は得意な顔の私に告げた。「30円のお買い上げになります。」

その時の店員の「その2円は何?」と言わんばかりの顔を私は一生、いや、一週間は忘れないだろう。恥をかいた。2度とそのスーパーマーケットで買い物をしないと心に誓った。2日後そこでグミを買った。

私は、この悲しい記憶と結び付けられたブラックサンダーなど断固好んでいない。購入もしない。見るだけでガーナのカカオ農園で労働を強いられている子供たち想起してしまい、チョコレートさながらの暗い気持ちに陥ってしまうチョコレートは、ただの鬱フードである。

 

一体なんの話をしているのであろうか。

 

人生の話題はどこへ行ってしまったのだろう。今回の議題であるにも関わらず、ブログの殆どが人生に掠ってすらいない。由々しき事態であるようにも思われるが、当初の予定と相異なる話題に終始し、一貫性すらもないこの状態もまた、私の人生を体現していると考えることもできるのではないか。

 

私はそう思う。